バロールの息子は、朝起きるなりゆううつになった。
「父親が王様だって、ぜんぜんいいことなんてない」ひとりつぶやく。「欲しいものも貰えないんだもの。バロールのひとり息子なんかでなければよかった。空にお陽さまが輝いて、木には林檎りんごがなっている、そんな国に住みたいな――ぼくが乞食で、世界じゅうを旅して回れたらなあ」
 彼は自分がかわいそうになって泣きだした。最初は小声で、それから大声で――それはそれは大きな声で。
 一の侍従が駆けこんできて、二の侍従が後につづいた。
「貴い若君、いかがなさいましたか?」一の侍従が言った。
「林檎の木が欲しいんだよ!」バロールの息子は言った。「陸の上も海の上も走れる白い馬が欲しい、金の林檎が三つついた銀の枝が欲しい!」
「情けなや」一の侍従が涙を拭いながら言った。
「情けなや」おなじく二の侍従が言った。
「情けなや」ふたりが声を揃えて言った。「いとも貴い若君よ、おとぎ話でもお聞きになったのですね」
「ちがうよ!」バロールの息子は言い張った。
「それでは、どこでお知りになったのです」一の侍従が言った。「陸の上も海の上も走れる馬だの、金の林檎のついた銀の枝だの」
「昨日の夕方、ねじれ樹の庭で会った子に聞いたんだ、おまえたちみんなから逃げだしたとき。彼が教えてくれたんだ――ほかにもいろいろ。ああ、いま、あいつと話せたらなあ」
「そんな悪い願い事をなさってはいけません」一の侍従は怖い顔で言った。「でないと妖精国に連れて行かれますよ、若君に金の林檎や白い馬の話を吹きこんだのは妖精国の若者でしょう。その馬は妖精国の王マナナーンのもので、金の林檎はマナナーンの息子アンガスのものです」
「じゃあ、プーカはだれのもの?」バロールの息子は訊ねた。
「プーカは」と一の侍従が答えた。「いたずら好きの小妖精で、妖精国の者です。そんなものには頭を悩ませないのが賢明というものですよ」
「どうすれば妖精国に行けるの」
「この国のだれにもわかりません。それに、はっきり申し上げて、貴い若君が行かれることはありません」
 バロールの息子は固く口を結んだ。これ以上はなにも聞き出せそうにないし、もう心に決めたことがあった。
 その日はいちにちじゅう、とても良い子にしていたので、いちばん立派な冠といちばん立派なマントを身につけるのを許された。そのままの格好で、夕闇のなかこっそりと妖精国を探しにでかけた。
 ねじれ樹の庭園の先には高い壁があり、壁のてっぺんには鋭い鉄の棘が植わっている。壁の上に空が広がり、それを除くと、バロールの息子にはなにも見えなかった。壁の端から端まで歩き、戸口がないか、それとも足をかけて登れるような石の隙間か、這って出られるような破れ目でもないかと探したけれど、壁はどこもかしこも同じように滑らかで鉄の棘が植わっていた。
 彼は地べたに座りこみ、ただ一の侍従と二の侍従のことだけを考えて、気分に負けて泣き声が出そうになるのを我慢した。
「ぼくは泣かない」自分に言い聞かせる。「そうだ、泣くもんか――あいつらを喜ばせたりしない」
 そのときふいに、だれかがいるのに気づいた。すぐそばに、前日の夕方に言葉を交わした相手が立っていた。ほっそりした少年で、淡い金色の髪と輝く灰色の眼をしている。
「ぼくの手を取って」少年はバロールの息子に言った。「妖精国に連れて行ってあげる」
 バロールの息子は手を伸ばした。雷の轟くような音がして、固く眼をつむる。眼を開けると、森の中に独りきりだった。その森の木々ほど高くそびえ、年をとり、堂々とした木は見たことがなかった。どの枝も葉は若く緑色で、木漏れ日が足元の苔に模様を描いた。細い小道がどこまでも、どこまでも森の奥へとつづいていた。バロールの息子は道をたどった。歩きに歩きに歩いて、何時間も経ったかと思うころ、空き地に近づいて、老人が石の上に腰かけているのが枝越しに見えた。
 たいそうな年寄りだと思ったのは、頭が白髪で灰色に見えたからだが、よく見ると老人の髪はまるで銀の炎で、顔は光を放つようだった。七枚の布が重なった紫色のマントを羽織っており、一枚ごとに前の一枚よりさらに豪華な刺繍がされている。老人の隣に、ぼろぼろのみすぼらしい服を着て日に焼けた若い男が立っていた。ふたりはなにか話していた。バロールの息子は聞き耳をたてた。
「おまえはまだ飽きていないのか」老人が訊ねていた。「アンガスよ、おまえはまだ、吹きさらしの風を顔に受け、足を埃まみれにして世界を歩き回るのに飽きてはいないのか? いまだに富には目もくれず、物乞いの生活を求めていると?」
「わたしはまだ変化を求めているんです」若者は答えた。「たとえそれが、青から灰色への変化であっても。それから、どんなことが起こるか知れない旅路と」
 そのとき、森から一匹のプーカが姿を現した。金の角と銀の蹄のある雪白の仔山羊のようだが、プーカは頭に思い浮かべたどんな姿にも変身できるのだ。アンガスを見ると、笑顔で彼の肩に跳び乗った。
「ほらやっぱり。わたしがまじめな話をしていると、いつも邪魔が入る。いったいなんの用だ」アンガスはわざと怒ったふりでプーカを問いただした。
「ああ、別になんにも、あなたのありがたいお言葉が聞きたかっただけで。ためになりますからね」プーカはそう言って、アンガスの肩の上で跳びはねた。「いまにも、おいらは世界でいちばん賢いプーカになれる」
 バロールの息子はもう我慢ができず、身を潜めていた場所を飛び出した。
「プーカ、プーカ、プーカ! おまえが欲しい、こっちへ来い!」
 プーカはひと跳びでアンガスの背後に逃げた。バロールの息子はプーカを捕まえようとした。アンガスが手を伸ばして遮った。
「おまえは何者だ」アンガスは訊ねた。
「ぼくは高貴な王子だぞ」バロールの息子はせいいっぱい背をそびやかした。
「なるほど王子らしいな」
「ぼくはバロールの息子だぞ。宝物を探しに来た。なにか持っているなら、すぐさまぼくに渡せ」
「なにが欲しい?」
「マナナーンの白い馬か三つの金の林檎が欲しい、それか妖精国の猟犬か」
「哀れな者に親切にしてやると、良いことがあるという。おまえがわたしたちに良いことをしてくれるなら、宝物が見つかるかもしれんな」
「いますぐ、ぼくのために宝物を探しに行かないんなら、父上に、バロールに言いつけてやる。そうしたら、父上がおまえをこの世から消し飛ばすぞ!」
「おやおや、ちょっと時間をくれないか。なにか探してみよう」
 いちぶしじゅうを聞いていたプーカが、隠れていた場所からぴょんと跳び出すと、口元に蕪がくっついていた――緑の葉っぱのところをくわえているのだ。
「それだ!」アンガスが言った。「宝物があったぞ」アンガスは蕪を手に取ると指先を滑らせた。蕪は大きな白い卵になり、葉は金と紅のになって卵の殻に散った。
「これをごらん。魔法の卵だ。これを持って三つの善き行いをしたら、なにかすばらしいものが孵るだろう」
「マナナーンの白い馬が孵るかな?」バロールの息子は訊ねた。
「それは、どんな善き行いをするかによる。なんだってそうだ」
「善き行いって?」
「そうだな、おとなしく立ち去って、われらを見たとだれにも言わなかったら、それは善き行いだ」
「ぼく行くよ」バロールの息子は言った。両手で卵を持ち、思いきり地面を蹴ってプーカに土をかけると、その場を去った。
 さほど行かないうちに鳥の鳴き声が聞こえた。見回すと、ハリエニシダの茂みに小鳥がいた。
「そのうるさいのを止めろ!」バロールの息子は言った。
 鳥は歌いつづけた。バロールの息子は卵を投げつけた。卵は蕪に戻り、ハリエニシダの茂みの脇に生えた羊歯しだの葉陰にうずくまっていた兎に当たった。兎は茂みを跳び出した。
「呪われてしまえ!」バロールの息子は叫んだ。「期待はずれの卵が! 兎よりましなものになれないのか! がっかりだ、災難だ! まだふたつめの善き行いだったのに、いったいなんなんだよ」
 バロールの息子は自分の国に帰ろうと、道を戻った。最初は空威張りで頬をふくらまし、大股に歩いていたが、だんだんと失くしたものの大きさが身にしみて、もうすこしでマナナーンの白馬か、金の林檎か、あるいはもっとすごい宝物が手に入るところだったのにと思うと、涙の粒が団子鼻のわきをゆっくりと転がり落ちた。
 バロールの息子が戻ってきたとき、アンガスと老人とプーカは、まだ小さな空き地にいた。少年を目にすると、プーカは栗鼠に姿を変えてならの木を駆け上り、アンガスは楢の木の葉に姿を変えて苔の塊の上にはらりと落ちた。老人は静かに座ってバロールの息子を見つめた。
「卵が孵ったよ」バロールの息子は言った。「だめな卵だった。乞食の頭に投げつけてやればよかったよ」
 老人は微笑んで楢の葉をつまみ上げた。両手で葉を押さえると、それは緑と紫のがある大きな金色の卵になった。
「それちょうだい、それちょうだい!」バロールの息子はわめいた。「最初の卵よりいいよ、最初のは割れちゃったし。それちょうだい」
「この卵はおまえさんにはもったいない。これはわたしが取っておこう」老人は言った。
「それなら、おまえも、森も、森の生き物も、ぶっとばしてやる。三回叫べばいいだけだ、そしたらぼくの国の三隊の軍勢がぼくを助けにくる。その卵をよこせ、さもなきゃ叫び声をあげるぞ」
「これはわたしが取っておく」
 バロールの息子はぎゅっと目を閉じて口を大きく開き、叫ぼうとした。声が出たなら、きっと世界の反対側まで届いたことだろうが、そのときプーカが彼の口にどんぐりをひとつかみ放りこんだ。叫び声は出なかった。バロールの息子は喉を詰まらせ、むせかえった。老人が背中を叩いたり揺すぶったりしてくれた。おもいきり揺すぶられて、ようやく息ができるようになると、バロールの息子は言った。
「おまえをぶっとばすのは勘弁してやる。ぼくは善き行いをするんだ。おまえにその卵を運ばせてやるから、ぼくの召使い兼宝探し係になるといい」
「わたしはマナナーンだ」老人が言った。
「ええっ」バロールの息子は叫んだ。「そうだ、ぼくは白い――」
 後ろからプーカの笑い声が聞こえた。
「なにを笑ってるんだよ」急いで後ろを向いて怒鳴った。
 そこにプーカはいなかった。笑い声も聞こえない。ふたたび前を向いた。老人はおらず、苔の塊もなかった。
 バロールの息子は眼をこすり、眼をつぶっては開けるのを三度くりかえし、こぶしを眼に押しつけた――プーカはいない、苔はない、老人もいない!
「バロールの息子よ、なにを嘆く?」声がした。声は頭上の木から降ってきたので、見上げてみると、全身が白くて胸だけ赤く、エメラルド色の眼をした小鳥がいた。
「ぼくほど不幸な王子はいないよ」バロールの息子は言った。「幸運の卵をなくしちゃったんだ」
「このわたしも、三粒の幸運の種をなくした」鳥は言った。
「幸運の種って? 幸運の卵と同じくらい良いもの?」
「それは種を植える者によりけりだ――どんなものにも育つ可能性がある」
「どこでなくしたの?」
「わたしが止まっているこの木のうろさ」鳥は答えた。
「ぼくが取ってあげる」バロールの息子は言い、木の洞に身体を乗り入れた。なかなかうまくいかなかったが、あきらめずにがんばると、頭と肩までが洞に入り、手を伸ばして中を探ることができた。きらきらした硬い種が三つ見つかった。バロールの息子は身体を起こして叫んだ。
「見つけたよ、白い鳥」
 鳥はもういなかった。
「じゃあ、ぼくが預かっているよ」バロールの息子は言った。
「きみが?」笑いを含んだ声が言った――聞き覚えのある声だ。プーカが戻ってきたのだ!
 こんどは、プーカの姿は枝角のある大きな牡鹿のようだった。毛皮は銀色で金色のぶちが散っている。
「種をおいらにおくれ」プーカは言った。「そうしたら、おいらの背中に乗せてやる」
「だめだ」バロールの息子は大声を出した。「種は持ち主に返してやるんだ」
「それは善き行いだな」
「白い鳥、白い鳥、白い鳥!」バロールの息子は呼びかけた。
 空のはるかな青のなかから白い鳥があらわれて、ひとひらの林檎の花びらか、風に舞う雪のようにかろやかに輪を描き、止まり、落ちてきた。
「種をアンガスに、あの乞食に与えよ、わたしの祝福とともに」小鳥は、輪を描いては止まるのをくりかえしつつ、そう言った。
「アンガス、アンガス、アンガス!」バロールの息子が最後まで言い終わらないうちに、乞食の姿のアンガスが木のあいだに立っていた。
 バロールの息子は彼に種を渡した。
 アンガスが種を受け取った。ひと粒を自分の額に付けると、それは王様の宝石のように輝いた。ひと粒を宙に投げあげると、それは金色の鳥になり、赤い胸の仲間といっしょに、輪を描いては止まるのをくりかえした。ひと粒は地面に埋めた。細い林檎の若木が生えてきた。木は育って花を咲かせ、三つのおおきな黄色の林檎がなった――世界でいちばん甘い林檎が!
 アンガスが実をもいだ。ひとつは自分で持っていた。ひとつはプーカにやった。
「幸運を、そしてあなたの手が空になることがないように」プーカが言った。
 アンガスはもうひとつをバロールの息子にくれた。
「ほら、妖精国でしか味わえない林檎だ。自分の国に着くまでとっておけ。そうでないと、だれにも信じてもらえない」
「幸運を、そしてあなたの手が空になることがないように」バロールの息子は言った。うちに向かって意気揚々と歩きだし、三歩もゆかないうちに林檎にかぶりついた――そんなわけで、帰ったときには、だれにも話を信じてもらえなかった。



底本:The Unicorn with Silver Shoes Longmans, Green and Co. 1932
翻訳:館野浩美
2017年8月6日公開

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