サマー諸島のエランモアに住むアハナの七兄弟、すなわちギャロウェイのアハナ一族の出ながら、身内との苦い諍いのために遠い北の地まで逃れたロバート・アハナの息子たちはみな、多かれ少なかれ、あるいは常にというわけではなくても時々は、ものに憑かれたようなところがありました。
 いずれまた、かれら兄弟のひとりひとりについて触れる折もありましょう。少なくとも長男と末っ子については。あんなひとたちは、ソルウェイの海の牧場からケルプが藁のように積み重なるルイスの浜にいたるケルトの地でも、ほかに見たことも聞いたこともありません。七番目の息子ジェイムズには、一族の呪いは最後に、けれどもっとも酷いかたちでふりかかりました。いつか、かれの数奇な一生を、身の破滅のもととなった悲しいできごとから可哀そうな最期まで、すっかりお話しいたしましょう。わたしがよく知るようになったのは長男のアラステルと末っ子のジェイムズです。ほかの五人、すなわちロバート、アラン、ウィリアム、マーカスそれにグルームは、最後にあげた一人を除いては (もし彼が生きているとすればですが) とうに亡くなったか、もう長いこと姿を見た者はありません。グルームについては――それにしてもなぜこのような名前を付けたのでしょう、耳にするたび私はぞっとしたものです。運命の残酷なはからいゆえか、ロバート・アハナの六番目の息子には、またとなくふさわしい名前であるだけに、よけいにそう思うのです――わかっているのは、十年あまり前はイエズス会の修道僧としてローマにいたことだけで、どこから来てどこへ行ったのか、それ以上この風来坊の消息を求めることはかないませんでした。二年前に身内の者から、グルームは死んだと、海の向こうはイスパニョーラ島の古い町で、さるメキシコの貴族に殺されたのだと聞きました。それが事実であることはまず間違いありますまいが、それでもグルームのことを考えると漠とした不安を覚えるのです。あるいはかれはこちらに向かっているのではないか、何か火急の知らせを携えて、いまにも我が家の戸口に続く道を白く埃にまみれた脚でやってくるところではないかと。
 けれどいまはアラステル・アハナのことをお話しいたしましょう。当時かれは四十に手の届くくらいで、わたしはその半分にも満たない小娘でしたが、アラステルはわたしの大切な友達でした。わたしたちはよく似たところがあり、かれは「だんまりアリー」と言われるほど無口でしたけれど、わたしにとっては一緒にいて誰よりも心やすい人でした。アラステルは背が高く、からだつきはひょろりとしていました。目は森に霧がたちこめるときのけむるような青で、子供のころよく夢に見た、ユイスト島のカンナとヤチヤナギに囲まれた湿地のただなかに横たわる小さな湖のようだと思っていました。
 かれが微笑むとき、初子の眠るゆりかごをのぞきこむうら若い母親にときおり見られるような静かな喜びがその顔に輝くのを、わたしはたびたび目にしました。なぜかわたしはそれを少しも不思議には思わなかったのです。弟たちはもちろん、ときには父親までもが、なかばあざけり、なかばおそれるような調子でアラステルをからかうことがあるのに気づいたときでさえも。あれは荒天に見舞われた八月の寒々とした日のこと、グルームが苦々しくさげすむように吐き捨てたのを聞いて、わけがわからなかったのを憶えています――「選ばれし者のおでましだぜ」。わたしの目に映ったのはただ、滅入るような寒さにもかかわらず、また収穫がだいなしになったことも、ジャガイモが腐っていくのもどこ吹く風というように、のんびりと歩いていくアラステルが微笑みをうかべて楽しげにあたりの陰鬱な風景に眼を注いでいるさまでした。
 それからほぼ一年が経って――日付を憶えているのは、それがエランモアを最後に訪れたときだからですが――わたしは一切を理解することになりました。わたしはアラステルとならんで西の方角へ、落日のほうへ歩いていました。アラステルの顔は、内側から光を放っているようにも見えました。畏怖に近いものを覚えながら見なおしても、やはり西から光はさしていません。どんよりとして、いまにも雨が降り出しそうでした。当時アラステルは悲しみのさなかにありました。三月前に弟のアランとウィリアムが波にさらわれ、そのひと月後には、やはり弟のロバートが病に倒れました。いまは骨と皮ばかりに痩せたロバートは、晩に炉の泥炭に灰をかぶせるまで、日がな一日震えながら炉端に坐して押し黙り、ぎょろりとした目を光らせてひとつところを見つめているのです。台所の上の部屋では、麻痺で体の自由を失ったロバート・アハナ老人が大きな寝台に横たわっています。アラステルやジェイムズ、それにわたしの大の親友だったアン・ギレスピー、アハナ老人の姪で不幸な一家の太陽だったアンがいなかったら、とても耐えられなかったでしょう。
 アラステルと並んで歩くあいだも、忍びがたいほどの憂鬱をひしひしと感じました。後にしてきた家には悲しみが満ち、冷たく濡れそぼった草地も悲しげなら、踏み越えてゆく岩場も悲しげで、ダイシャクシギの甲高い叫びだけが響いていました。なかでもひときわ悲哀に満ちていたのは海鳴りで、そこからは見えなかったけれど、海は涙にむせびながら島のまわりをめぐっているのでした。なにもかもが言いようもなくやるせなく、もう先にはゆかず家に帰ろうというつもりで、わたしは立ち止まりました。少なくとも家の中は暖かく、アンが糸を紡ぐかたわら歌をうたってくれるでしょう。
 けれど、そのとき見上げたアラステルの顔からは、ほんとうに光がさしていました。まなざしがそそがれる先は、えんえんと続く不毛の大地で、しゃれこうべのように白い丸石のあいだに枯死したジャガイモが腐っていました。わたしはいまだに憶えています。あの不思議な彼方の青を宿した眼を。静かな喜びのともし火、やすらぎのともし火、そんなふうに見えたのです。
「アハナカールンを見ているの?」その一帯はそう呼ばれていました。尋ねるわたしの声は、ささやきのように小さかったはずです。
「ああ」アラステルはゆっくりと言葉をもらしました。「そうだ。うつくしい。とてもうつくしい。この世界はなんてうつくしいのだろう」
 なぜそんなことをしたのか自分でもわかりませんが、わたしはすぐそばのヘザーの繁った岩場につっぷして、はげしく泣きじゃくりました。
 アラステルは足を止めて力強い腕でわたしを抱き起こすと、やさしい手と言葉でなだめてくれました。
「どうした。いい子だから言ってごらん。いったいどうしたんだい」何度も何度もそう繰り返しました。
「あなたのせい――アラステル、あなたのせいよ」なんとかまともに話せるようになったわたしは言いました。「さっきみたいな話し方をすると怖くなるの。あなたおかしいわ。なんでこんな、うんざりするような荒れ地が美しいの? こんなひどい天気で、それにあんな、あんないろいろなことがあった後なのに。どうしてなの、アラステル」
 すると、アラステルは肩掛けプレードを取って濡れたヒースの繁みの上に広げると、わたしを引き寄せて自分の隣に座らせました。
「でも、美しくはないかい」そう尋ねるアラステルの目には涙がうかんでいました。こたえを待たずに、かれは穏やかな口調で続けました。「じゃあ話してあげよう」
 一分かそこら、アラステルは気味が悪いほどじっと動かず、息もしていないように見えました。そしてかれは話し始めました。
「ほんのガキに毛の生えたくらいの十二、三歳のころ、おれの身に何かが起こったんだ。その何かは虹の向こうから、妖精の都カイル・シーの門の向こうから降りてきた」ここでいったん口をつぐんだのは、話がちゃんと通じているか心配したのだと思いますが、ありとあらゆるおとぎ話に馴染んでいたわたしには、もちろんわかりました。「花々の釣鐘と盃に蜜が湧き出す季節、おれは荒野に出かけた。おれはずっとこの島と海を愛していた。馬鹿みたいだと思うかもしれないが、おれはその黄金のような日、とてもうれしくしあわせだったから、大地に身体を投げ出して、温もったかぐわしい土に口づけし、大地を抱きしめた。わけのわからないあこがれがこみあげて、おれはすすり泣いた。ようやく衝動がおさまると、目を閉じて満ち足りた気持ちでじっと横たわっていた。とつぜん、ヒースのなかから小さな二本の手が伸びてきて、なにか柔らかく香り高いものをおれのまぶたに押しつけたのがわかった。目を開けても、なにもかわったものは見当たらなかったし、誰もいなかった。それなのにささやきが聞こえたんだ。『立ってすぐにここを離れなさい。おまえの身に悪いことが起こらないよう、今夜は外に出てはいけないよ』それでおれは飛び起きて、震えながら家に帰った。おれは元のおれのままだったが、やっぱり何かが違った。おれは醜くおぞましいものも、みんなのようには、うちの親父や弟たち、それにほかの島の人たちと同じようには見られなくなった。親父はたびたびおれに腹をたてて、大馬鹿者とののしったよ。荒れ果てたわびしい風景は、おれの目には魅惑に光り輝いているように見えた。とうとう親父は腹に据えかねて、ばかにしたようすで、街に行ってこの世の汚さやあさましさを見てこいと言った。だが実際はこうだった。貧民窟と呼ばれるようなところ、工場の煙にまみれ、貧しさが埃のように積もってこびりついた場所で、普通の人に見えるようなものは、おれにも見えてはいたが、それは消えゆく影みたいなものだった。おれの目に映ったものは、みな不思議な光輝に包まれてうつくしかったし、男も女もあらゆる人間の顔は優しくけがれを知らず、魂は純白だった。おれはこの自分で望んだわけでもない試練に疲れ果て、途方に暮れてエランモアに帰ってきた。家にたどりついた日、ちょうどモーラクが、あの 〈滝のモーラク〉が来ていた。おばばは親父に向きなおると、愚かな盲人と呼んだ。『この者の額には光がある』おれを指してそう言った。『わたしには見えるよ。雷の日に南から風が吹いてくるとき、波間にちらちら揺れる光みたいにね。この子は妖精の膏薬を塗られたのさ。〈善き人々〉がかれを見守っている。それは死の時まで続くだろう。妖精族の一員ドゥニャ・シーが死ぬなんてことがあればだがね。すでに一度死んで、生まれ変わった者なんだから。妖精の膏薬を塗られた者は、すべての醜さやおぞましさ、悲しみや苦しみを、美の魔法をとおして見る。それはアルピンの子[#九世紀の王ケネス・マカルピン。伝説ではピクト人の王国を征服しスコットランドを統一した建国の祖とされる。]が海の間の土地を支配していたときからそういうものだったし、おまえの息子アラステルもそうだろう』」
「それだけのことさ。これが、ときどき弟たちが腹だちまぎれに、おれを選ばれし者と呼ぶ理由だ」
「それだけのこと」、そうなのかもしれません。でもアラステル・アハナ、花々の盃に蜜が湧き出す季節に、ヒースの繁みであなたが授かったこのうえない宝物のことを、わたしはどれほどたびたび考えたことでしょう。野の蜜蜂たちは知っていたのでしょうか。かれらの繊細な羽根のささやきを聞くことができたなら。
 まぶたへのひと触れ、ひと塗りの妖精の膏薬のためなら、誰でもおのが持てる最上のものを差し出すでしょうし、すべてをなげうって悔いない者さえいるでしょう。けれどそれは彼方の地、隠された時の中にだけあるのです。求めて得られるものではないのだから、探しに行くこともできますまい。
 蜜蜂たちだけは秘密を知っているのでしょうが、わたしが思うに、かれらはきっと喜びの原マグ・メルの蜂なのにちがいありません。そして生ある者がかの地を歩むのはかなわぬこと――すくなくともこれまでのところは。



底本:The writings of "Fiona Macleod" Volume 3 by Fiona Macleod, Duffield & Company:New York, 1910
翻訳: 館野 浩美
公開日: 2009-06-23
改訂日: 2010-02-20
改訂日: 2018-02-28

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