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巫女は祭壇を離れて進み出ると、歌声の主を求めて視線をさまよわせた。空き地の中央で足を止め、無言で待ちうける。ほとんど時を措かず、小さな竪琴を抱えた若者が群集の中から姿を現し、巫女の前に立った。若者は巫女と変わらぬ年頃に見えた。巫女の黒い瞳は邪魔をされた怒りに燃えていたが、若者は涼しげな風情で立っていた。恐れげもなく相手の眼差しを受けとめる。かれは巫女の目をまっすぐに見つめた。それは誇り高き精霊たちが戦うときのやりかただった。巫女の瞳は黒く、かすかに紫を帯びているように見えた。世界の暗黒の道を見つめ続けてきた者の目だった。若者の瞳は褐色で、かすかに黄金色を帯びていた。はかりしれない豊かな生命の輝きが、瞳の奥に踊っているようだった。その不思議な喜びを秘めた眼差しがあまりにまぶしく、巫女はつと目を伏せた。若者は群集に向き直り、声を張り上げた。「あなたがたの巫女は、真実の半分しか語っていない。彼女の目が見たものを、彼女の心は理解していないのだ。生は悲惨なものではなく、喜びにみちているのに。聞いてくれ。おれは、巫女が語っているところに通りかかったのだが、あなたがたはみな恐怖にとり憑かれ、帰りの路を思って震えていた。兎のように、実体のないものを恐れ、かつて森にひしめく化け物たちを前にして、死をあざ笑ってやったことを忘れている。あなたがたが恐れ、その前に膝を屈する精霊たちよりも、あなたがたのほうが偉大であることを知らないのか? あなたがたの生命は、より深い源から発しているのだ。教えてくれ、巫女よ、冬が世界を支配するとき、炎の精たちはどこへ行くのか」

「炎の王のもとへ、かれらは行く。王の心のうちに、かれらはまどろむ」巫女は、なかば歌うように答えた。熱烈な弁舌の力は、まだ失われていなかった。「では、人が絶望したとき、その心の炎はどこへ行くのか」巫女の答えはなかった。若者はあざけるように続けた。「あなたがたの巫女は、悪鬼と妖魔の巫女ではあっても、人間の巫女ではないようだ。彼女の智慧は、あなたがたのためにはならぬ。万物に宿る精霊が人間に敵意を持つのは、人間の心が恐れに満ちているのを見て取るからだ。恐れを捨てれば、敵意も消える。大地の偉大な心は笑いに満ちている。その喜びから身を遠ざけてはいけない。大地の魂があなたがたの魂であり、大地の喜びがあなたがたの本質なのだから」

若者は背を向け、人垣の間を抜けて去っていった。巫女はかれを引き留めるようなそぶりを見せたが、威儀を正して思いとどまった。ふたたび、暮れなずむ森を遠ざかってゆく若者の歌声が聴こえた。

    

精霊たちは炎の王の許へと押し寄せる     つらい冬の日を迎えて そしてかれらの歌に聴き入るものたちも     その日かれらにつき従う

かれらは王の心の隠れ家を求め     炎の広間に巣ごもる 夢は孔雀の羽のようにひらめき     からだは欲望の太陽の色に輝く

われは精霊たちを追わず     魑魅魍魎の声も聞かず わが冬の日々に     高き根源なる自我のうちにやすむ

よそ者に中断された儀式は、いくばくもたたぬうちに終わった。巫女は警告の言葉を締めくくった。しかし、詩人の歌が人々に与えた感銘を拭い去ろうとはせず、ただこう漏らした。「あの者の言うことのほうが正しいのかもしれぬ。われわれの受け継いできた知識よりもずっと美しいゆえ」

月日が過ぎていった。秋は死に絶え冬がとって代わり、春が訪れ夏が巡ってきた。地上に変化をもたらす季節は、うら若い巫女の上にも変化をもたらした。もはや精霊の (やから) を支配しようとはせず、彼女の帝国は霧消した。詩人の歌が耳にこだまし続けていた。より豊かな生命の光輝に包まれて享受する尊厳と喜びの高らかな宣言は、たえずたちかえってきて、やがて真実と思われるようになった。しかし、そのような生き方が自分にできるとは思えず、深い悲しみが心に根を下ろした。森の人々は、黄昏にじっと坐りこむ巫女の姿をたびたび目にした。夕陽に照らされた泉は、ゆるやかに青金石と紫水晶の色を翻し、玻璃と黄金のようにきらめき、幻の楽園の鳥が消えゆくように闇に溶けていった。巫女はもの思わしげに黒髪のこうべを垂れ、周囲で大いなる美が燃え上がり、衰えゆくのにも気づかぬようすだった。しばらくののち、巫女は立ち上がってあたりを歩き回った。巫女にあえて問いを向けることはせずに、ただ見守っていた人々と言葉を交わすことも多くなり、より人間らしい柔らかさを身に付けた。民人は徐々に巫女に対する恐れを忘れ、彼女を愛するようになった。しかし、巫女は精魂傾けた勤行を欠かすことはなく、じきに歩みはふらつき、頬は蒼ざめた。巫女の切望に憑かれた魂は、冬の金剛石の輝きが地上に放たれたある日、この世を離れて飛び去った。夏になり、かの詩人がふたたびやってきた。人々は、かれらの目には不可解と映った巫女の変わりようを話して聞かせた。詩人は、このはかりがたい世界の奥深さに思いを馳せ、なかば喜び、なかば悲しみを抱いて、祭壇のかたわらにある巫女の墓に碑銘を刻みつけた。

この社の巫女はいずこ     いかなる地にて祈りを捧ぐ 繁く通いし松の木蔭も     もはやそのささやきを聞かず

ああ、おのが自身の美につつまれ     かのひとは終わりなき夢をゆめみる いまやおのれの魂にのみ仕える巫女は     まったき自己を手にし永遠にやすらう

      

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