ある伝説が私にささやきかけた。いずこの国、いつの世の話であるかはわからない。あるいは、太古のアトランティスの時代のことででもあろうか。果てしなく広がる森があり、うら若い巫女がその地を治めていた。巫女は祭りを司り、民人のために祭壇で贄を捧げ、作物が火に焼かれぬよう、また出水に浸かることも、嵐になぎたおされることもなく、疫病に見舞われることもないようにと、地水火風の精霊にとりなした。元素に宿る精霊たちは、ときにこれらの災いをもたらすことがあったのだ。この森の領土を、巫女は力ある魔術師だった父から受け継いだ。幼き日の彼女の周りには、霊的な存在が飛び交っていた。ふつうの子供が花々を見るように、彼女は恐れも驚きもせずに精霊たちを見た。またより大いなる神秘を目にすることもあった。幼い彼女は熊皮にくるまり、父親が秘密の儀式を執り行うのを畏敬の目で見つめた。父を取り巻いて、さまざまな領域から呼び出された無数の幻のような精霊たちが群がっていた。父はそれらの精霊たちをあるいは服従させ、あるいはその前に膝を折った。泡のように白い、素早く飛び回る輪郭の定まらぬものたちは、大いなる深みより来たり、魔術師の手の一振りで逃げ去った。ごくまれには、堂々たる炎の子らさえも姿を顕した。玻璃のように明るく透き通ったかれらは、近くにいるようで遠く、動かぬように見えて目にも留らぬほど捷く、水晶につかのまきらめく姿のようだった。こうして幼子は神秘に包まれて育った。彼女の思考は他の人々とは異なり、また感情も異なった。あたかも、異界の者たちや、魔術師の思考によって形を与えられた存在が、鋼の意思で退けられたために父から離れて娘の中に入り込み、その一部となったかのように。それらは、地の底で輝くこの星の魂に棲む根源的な存在に彼女を結び付けた。父は娘に請われるままに、さまざまな知識を与えたが、娘がまだ幼いうちに亡くなったため、父の意図がなへんにあったのか、また父がどのような人間であり、いかなる運命を担っていたのかを、娘は知らぬままだった。それでも娘は、目に見える姿をまとって顕れる、あらゆる種類の精霊の性質を知り尽くし、かれらのうちいずれを恐れ、いずれと親しむべきかを心得ていた。この知識のおかげで、彼女は巫女として社を継ぎ、美と若さ、叡智と神秘をもって森に住む人々の上に君臨することになった。
秋の祭りの夕べ、祭壇の前の開けた草地には、大勢の人々が集っていた。頭に羽根を飾った狩人たちを筆頭に、羊飼いや地を耕す者たち、髪に霜をおいた老人たちが周りを囲んだ。
若き巫女は群集の前に立っていた。顔は夜を徹した勤行に蒼ざめ、夕霞を透かした陽の光が、宙にひらめく腕と、目を奪うような孔雀の羽の縫い取りのある衣を照らしていた。深く落ち窪んだ眼窩には炎が宿り、言葉を紡ぐにつれて神がかりの域に入っていった。声は高まるかと思えば低められ、命令し、警告し、ささやき、うったえかけた。その豊かで風変わりな音楽が森を満たし、聴衆の心臓を戦慄で貫いては流れていった。巫女は、かの神秘なる存在の秘密を語った。かれらが人間を見張り、軍勢をなして取り囲んでは攻撃を仕掛け、吐息で人の心の喜びをしおれさせるさまを語り、また森の小道に潜んで土の寝床から湿った両手を伸ばし、人の足をつかむ地の精たちについて語った。
「恐るべきは、ひっそりとした水辺に棲む精霊たち。かれらは夢見る魂を支配する。かれらの呪いは忘却。人間を死の休息にいざない、眠りを誘う指で触れて生命の炎をかき消す。しかし、それにもまして恐るべきは、大気を飛び回るものたち。かれらは鎮めがたき欲望。かれらが人間に与えるのは、けっして成就することがない、安らぎを知ることはないという運命。かれらは風を先導し、あちらへこちらへとさまよう。かれらはとりわけ激しく繊細な魂を征服し、支配する。だが、かれらの愛は人間の愛とは異なる。かれらに憑かれると、心は狂気に蝕まれ、足は焦燥にいても立ってもいられない。夜は眠りを忘れ、昼の陽光を満たした杯にも何の喜びもおぼえない。かれらのささやきに耳を貸してはならぬ。炎に身は乾涸び焼き尽くされる。かれらの差し出す美も、ついには癒しがたき苦悩に打ちのめされるだけ」巫女はしばし言葉を切った。彼女の荒い息遣いに、聴衆はあいかわらず身震いを抑えられなかった。そのとき、何者かの歌声が響いた。その陽気で誇らかな声がうたう歌は、人々の恐怖の呪縛を打ち破った。
荒野にあろうと森にあろうと
魔物たちの叫びに気を留めはしない かれらはただ己の孤独をうったえるだけ
わが魂こそは、かれらすべてに君臨する王
王たるわれは王者の衣をまとい
光の野に裳裾を曳く
その静謐な青と銀のうえには
夜の星屑の宝石がちりばめられている
喜びの吐息は止むことなく
星光にきらめく衣の襞を揺り動かす
われは地上の悲嘆をはるかに越え
喜びを生き、喜びを息する
巫女は祭壇を離れて進み出ると、歌声の主を求めて視線をさまよわせた。空き地の中央で足を止め、無言で待ちうける。ほとんど時を措かず、小さな竪琴を抱えた若者が群集の中から姿を現し、巫女の前に立った。若者は巫女と変わらぬ年頃に見えた。巫女の黒い瞳は邪魔をされた怒りに燃えていたが、若者は涼しげな風情で立っていた。恐れげもなく相手の眼差しを受けとめる。かれは巫女の目をまっすぐに見つめた。それは誇り高き精霊たちが戦うときのやりかただった。巫女の瞳は黒く、かすかに紫を帯びているように見えた。世界の暗黒の道を見つめ続けてきた者の目だった。若者の瞳は褐色で、かすかに黄金色を帯びていた。はかりしれない豊かな生命の輝きが、瞳の奥に踊っているようだった。その不思議な喜びを秘めた眼差しがあまりにまぶしく、巫女はつと目を伏せた。若者は群集に向き直り、声を張り上げた。「あなたがたの巫女は、真実の半分しか語っていない。彼女の目が見たものを、彼女の心は理解していないのだ。生は悲惨なものではなく、喜びにみちているのに。聞いてくれ。おれは、巫女が語っているところに通りかかったのだが、あなたがたはみな恐怖にとり憑かれ、帰りの路を思って震えていた。兎のように、実体のないものを恐れ、かつて森にひしめく化け物たちを前にして、死をあざ笑ってやったことを忘れている。あなたがたが恐れ、その前に膝を屈する精霊たちよりも、あなたがたのほうが偉大であることを知らないのか? あなたがたの生命は、より深い源から発しているのだ。教えてくれ、巫女よ、冬が世界を支配するとき、炎の精たちはどこへ行くのか」
「炎の王のもとへ、かれらは行く。王の心のうちに、かれらはまどろむ」巫女は、なかば歌うように答えた。熱烈な弁舌の力は、まだ失われていなかった。「では、人が絶望したとき、その心の炎はどこへ行くのか」巫女の答えはなかった。若者はあざけるように続けた。「あなたがたの巫女は、悪鬼と妖魔の巫女ではあっても、人間の巫女ではないようだ。彼女の智慧は、あなたがたのためにはならぬ。万物に宿る精霊が人間に敵意を持つのは、人間の心が恐れに満ちているのを見て取るからだ。恐れを捨てれば、敵意も消える。大地の偉大な心は笑いに満ちている。その喜びから身を遠ざけてはいけない。大地の魂があなたがたの魂であり、大地の喜びがあなたがたの本質なのだから」
若者は背を向け、人垣の間を抜けて去っていった。巫女はかれを引き留めるようなそぶりを見せたが、威儀を正して思いとどまった。ふたたび、暮れなずむ森を遠ざかってゆく若者の歌声が聴こえた。
精霊たちは炎の王の許へと押し寄せる
つらい冬の日を迎えて
そしてかれらの歌に聴き入るものたちも
その日かれらにつき従う
かれらは王の心の隠れ家を求め
炎の広間に巣ごもる
夢は孔雀の羽のようにひらめき
からだは欲望の太陽の色に輝く
われは精霊たちを追わず
魑魅魍魎の声も聞かず
わが冬の日々に 高き根源なる自我のうちにやすむ
よそ者に中断された儀式は、いくばくもたたぬうちに終わった。巫女は警告の言葉を締めくくった。しかし、詩人の歌が人々に与えた感銘を拭い去ろうとはせず、ただこう漏らした。「あの者の言うことのほうが正しいのかもしれぬ。われわれの受け継いできた知識よりもずっと美しいゆえ」
月日が過ぎていった。秋は死に絶え冬がとって代わり、春が訪れ夏が巡ってきた。地上に変化をもたらす季節は、うら若い巫女の上にも変化をもたらした。もはや精霊の族を支配しようとはせず、彼女の帝国は霧消した。詩人の歌が耳にこだまし続けていた。より豊かな生命の光輝に包まれて享受する尊厳と喜びの高らかな宣言は、たえずたちかえってきて、やがて真実と思われるようになった。しかし、そのような生き方が自分にできるとは思えず、深い悲しみが心に根を下ろした。森の人々は、黄昏にじっと坐りこむ巫女の姿をたびたび目にした。夕陽に照らされた泉は、ゆるやかに青金石と紫水晶の色を翻し、玻璃と黄金のようにきらめき、幻の楽園の鳥が消えゆくように闇に溶けていった。巫女はもの思わしげに黒髪のこうべを垂れ、周囲で大いなる美が燃え上がり、衰えゆくのにも気づかぬようすだった。しばらくののち、巫女は立ち上がってあたりを歩き回った。巫女にあえて問いを向けることはせずに、ただ見守っていた人々と言葉を交わすことも多くなり、より人間らしい柔らかさを身に付けた。民人は徐々に巫女に対する恐れを忘れ、彼女を愛するようになった。しかし、巫女は精魂傾けた勤行を欠かすことはなく、じきに歩みはふらつき、頬は蒼ざめた。巫女の切望に憑かれた魂は、冬の金剛石の輝きが地上に放たれたある日、この世を離れて飛び去った。夏になり、かの詩人がふたたびやってきた。人々は、かれらの目には不可解と映った巫女の変わりようを話して聞かせた。詩人は、このはかりがたい世界の奥深さに思いを馳せ、なかば喜び、なかば悲しみを抱いて、祭壇のかたわらにある巫女の墓に碑銘を刻みつけた。
この社の巫女はいずこ
いかなる地にて祈りを捧ぐ
繁く通いし松の木蔭も
もはやそのささやきを聞かず
ああ、おのが自身の美につつまれ
かのひとは終わりなき夢をゆめみる
いまやおのれの魂にのみ仕える巫女は
まったき自己を手にし永遠にやすらう
“The Priestess of the Woods” from AE in the Irish Theosophist by AE (George William Russell) 1893
翻訳: 館野 浩美
公開日: 2009-12-20