ナンロッサの塔は荒れ地のはるか彼方にあり、塔からはどちらの方角に向かっても、何百マイルも踏み越えて、ようやく人の住む土地までたどりつく。それも、森のなかにわずかな畑地をきり拓いた小さな村でしかない。木々やヒースの大海に浮かぶ島であり、みな森林法に従い、王領森林管理官の管轄の下にある。ナンロッサから西のフィニスモンドの山岳地帯までを支配するのがいかなる掟か、誰が知ろう。人間の掟でないのはたしかだ。人間の掟の及ぶところでないのは、東のほう、人がだれも足を踏み入れないエルフィンメアの湿地も同じだ。バンやオオバンやサンカノゴイに勅書を回すことなどできるはずもない。葦のそよぐ沼沢地が何百マイルも広がり、そこかしこに小さな島がある――たいていは榛の木が生えており、なかでも大きいものにはオークが枝を広げていることもある。行けども行けども尽きぬ湿原は、エメラルドグリーンや青銅色や金色に彩られているものの、靴底を預けるにはとうてい信がおけない。黄色いアヤメ、静寂、ときおりすいと横切る蜻蛉、荒涼とした黒い泥沼がえんえんと続く、鶴や鷺にとっては快適な土地――藺草に縁どられた池に蛙が跳びこみ、羽虫がかすめ、水面は天の青と漂いゆく雲を映す。ナンロッサから東のバビロンに向かっては、こんなふうに五百マイルにわたる幽境、絶えて人声のしない閑寂の地を越えて、やっと人家のあるところ、あるいはすくなくとも人の住める場所に出る。
 ナンロッサの塔は高い岩山の上に建っているが、はたして聖キリアンがやってくる前に人間が塔を目撃したためしがあったにせよ、太古の忘れられた時代にまで遡らねばならないだろう――たとえばバビロンのスルタンの皇子があまたの心痛のもとミラスならびに世界の衰亡を招いた魔法を追い求める途上で通りがかったとき、あるいはもっと時代が下ったとしても、神々の秘密の山を探していたヴァルグロン・フラムラスが近くまでやってきたときが最後にちがいない。沼地からならば塔を眺められるかもしれないが、森の中からは無理だろう。高い丘の頂でも、青葉の頃には緑の屋根が、冬には梢の複雑な透かし彫りが頭上を覆うからだ。林間にはわずかな空き地もない。高所にある巣から西の沼地に狩をしに飛んでゆく鷺にとっては、塔は格好の目印だろうが、森林官が道に迷うか、あるいは敢えて魔法の領域ふかく足を踏みいれたとしても、塔がすぐ近くにあるとは夢にも思わず通り過ぎるかもしれない。ともあれ、ナンロッサの丘にまで至った者はいない。そんなことは毫も考えられない。人間がけっして行かない場所、あるいはごくまれにしか行かず、皆無も同然という場所があるものなのだ。
 切り立った崖が塔の根本から二百フィートも落ちこみ、ナンロッサ峡谷を形づくっている。この峡谷を通っているのが、ご存じだろうが、キャメロットへ向かう旧街道だ。古き世の巨人たちがアーサー王のために並べた敷石は、もう長らく生い茂る草に埋もれている。峡谷の幅はそれほど広くなく、塔から矢を射れば崖の向こう側まで届くだろう。潮のように押し寄せる森は、丘陵地一帯を覆い、谷間になだれこんで、四分の一マイルほど先の沼沢地の縁まで迫っているため、塔から街道は少しも見えず、ざわめく葉叢の波か、あるいは冬であれば樺やオークの紫がかった褐色の裸枝だけが眼下に眺められる。旧街道じたいは、エルフィンメアを貫いて先へ延びており、ところどころで何フィートも水面下に沈んでいる。ここ二、三千年ばかり、バビロンから森にやってくる人間がほとんどいないのは、そのせいもある。
 人跡はまれにしても、不死の者ならば、そう、力ある者たちにせよ神々にせよ、ごまんといる。そこはまさしく魔法に満ちた領域だからだ。もし特別な耳か天性の感覚があるなら、風変わりな角笛の音が昼となく夜となく、森深いナンロッサの丘陵に鳴り響くのが聞こえるはずだ。真昼に巨木のあいまを抜けてゆくひそやかな気配を感じ、黄昏時には、藍色と紫色の光暈に包まれ、炎のかたちをした者たちのおぼろな姿が、湿地に散らばる輝く湖の上をきらめきながら飛んでゆき、沼地の葦や藺草、榛の木の葉叢が畏敬に鳴りをひそめ、そっと身をふるわせるのを見るかもしれない。あるいは、輝かしいキンポウゲのような暁が、アヤメの灰色とラヴェンダーの色に柔らかく発光する霧の中から咲きいでるとき、賛嘆すべき者たちの姿を目撃することもあろう――息もつかず、没我の境地にある、美しい、大きな目をした夢見る湿地の神々だ。あるいはまた、木々のあいだでは森の小さな雨神たちが、滴を垂らす優美な羊歯と柊の暗い緑の上をすばやく音もなく行き来しているかもしれない。もちろん、それもみな、見る目を持っていればの話だ! なにしろナンロッサの丘陵とエルフィンメアの湿地は、すべての森の聖域の中心であるのだから。人間がかの地を畏れ、足を向けずにいるのも当然だ。記憶を浚ってみても、わたしが訪れたかぎりでは、森の中でもあそこほど、不思議な〈森の美の支配者たち〉がたむろする場所はない。フィニスモンドは恐ろしく、ドワーフの山々も荒涼寂寞として、ひとたび目にすれば、おそらくは一生にわたって心を離れないだろう。ミラスの塔を擁する一帯は、光と影の織りなすさまざまな事物と、夕闇に輪を描いて踊る燐光、あるいは星々で名高い。しかしわたしは森の神々の棲まうナンロッサの丘のほうがずっといい……神々はみずから選んだ場所を秘密の聖域として守りつづけ、人目に晒されることを望まず、魅力的な交易品のひとつも産出せず、あらゆる地図において空白として残されるのをよしとした――いつか神々がその地を去り、約束の新天地を求めて旅立つそのときまで。
 だれがナンロッサの塔を建てたのか? たぶん、アーサー王のために王都キャメロットと遠いバビロンを結ぶ旧街道をつくったのと同じ、失われた民だろう。神々がナンロッサにやってきて、丘や湿地を我がものにする前、古い時代の森に暮らしていた巨人族、あるいは小人族か。それはともかく、聖キリアンは塔を見いだした。信仰に駆りたてられた聖者は大いなる都を出て、世界の西の涯(かれにとっては)まで、はるばる旅をした。きっと、行ってみれば、いまでもそこに塔があるはずだ。しかしいまは聖者の話をしよう。当時のバビロンでは、キャメロットはただの伝説であり、それも、おそらくは相当に迷信ぶかい人々にしか知られていなかった。だからこそ聖キリアンは西の方、つまり無に、ものごとの終わりに向かって七年のあいだ旅をつづけ、魂の至高の冒険のための場所を探し求め、丘と湖のあいだにやってきたとき、ついに探していた場所にたどり着いたのだと悟った。
 どうして森の見えない守護者たち――これは神々のことではない――が聖キリアンを通したのかはわからない。きっと聖者の信仰心が並はずれて篤かったから――それに、これから話すように、純粋無私だったからだろう。ひょっとすると、守護者たちの警戒を解くような、あるいは魅きつけさえするなにかがあったのかもしれない。ともあれ聖者は塔を見いだし、塔が今日と同じく(そうだとわたしは固く信じている)風雨を防ぎ、住める状態にあるのを見てとった。塔の中は三層に分かれ、石の階段が巡らされている。一階は穴蔵めいた、なかば地下に埋もれた部屋で、西側の壁に炉床らしきものと通気のための孔がある。窓はないが、南側に開いた扉のない戸口から光が存分に入る。その部屋では、火を熾して最低限の煮炊きや食事をし、(雨でも降れば)日がな一日籠っていられるし、道に迷った旅人が偶然に通りがかり、一夜の宿を求めでもしたなら、もてなしを供することもできる。部屋の壁に沿ってつくられた不揃いの階段を登ると、二階は独房を思わせるなにもない小部屋になっており、乾かした羊歯の葉を寝具がわりに敷いてやすむだけの広さがある。部屋への入り口となる床の穴は、落とし戸で塞いで、夜には威勢のよすぎる風を避け、うろつきまわるものどもが階段を登って入りこむのを防ぐ。二階の部屋にも窓はないが、上の階につづく階段の口から光が――ある程度とはいえ――射しこむ。最上階は光にみち溢れているのだ。尖った天井の先端は、一個の巨大な水晶でできており、壁はほとんど柱とアーチだけで、風の通り道になっている。そこからは湿地を五十マイル先まで見渡せ、また森に覆われた広大な丘陵地の全容を一望に収められる。その部屋こそが、これから話す、聖キリアンの勤行にまたとなくふさわしい部屋であり、聖者はただその目的だけに部屋を使った。
 その勤行というのは並たいていのものではなく、聖者が主のための戦いに身を捧げようとナンロッサにやってきた後も、たゆまずつづけられた。当時の聖者は、まだほんの若造だった。いつもぴりぴりと神経を尖らせ、魂はこの世ならぬ世界にどっぷりと浸かっていた。故郷では、心優しい女たちに囲まれていた。母は、戦いとやらはバビロンでやってくれまいかと――そんなことが可能だとでも言うように――息子を説き伏せようとし、若い妻は夫が内心に鬱屈を抱えているのを、気も狂わんばかりに心配しながら見守っていたし、優しい姉妹たち、ミュリエルとイレインとローズマリーもいた。また壮健な兄たちもいた。長身のフィリバート、ヴァンフレッド、そしてイーガンだ。下の二人は兵士で、長兄は商人だった。三人とも辛抱強く穏やかに、末の弟を地に足の着いた、あるいはかれらの言い方では「まっとうな」生活に立ち返らせようとした。それもすべてむだだった! キリアンは聖者になることしか考えておらず、そしてそれは、神のみぞ(あるいはキリアンのみぞ)知るところながら、バビロンではかなわぬ願いなのだ。かの薔薇色の悪徳と栄光を誇る奢侈の都では、主の戦いのための静けさは望むべくもない。必要なのは、孤独と、悪魔どもがひしめく荒野だった。人間の罪や誉れなどよりもっと深い、邪悪の根源を見つめなければならない。善と悪とは、すなわち教会の世界と異教の世界を意味した。こなたには教会の聖者や天使たちがおり、かなたには異教の神々――悪魔と言ってもよい――がいる。キリアンの考えでは、この二者は主のための戦いにおいて永遠に対立する要素であり、それゆえ、異教の神々の棲みかをあばいて追いつめ、一なる神の名においてかれらを日ごと夜ごとに呪い、その力を弱めなければならないのだった。幾重にも増した神の呪いの力をもってすれば、異教の神々は這々の態でこの世から逃げ出すか、悔い改めて教会の囲いに入るほかあるまいと、キリアンは――模範的なからし種[#キリスト教で信仰心を表す]のひと粒を自認する者さえ恥入らせずにはおかない固い信仰を抱いていたこともあり――信じて疑わなかった。そうすれば、主の勝利は永遠のものとなり、罪は折れた茎の上で萎びていくだろう。そして人間は、いわばなんの苦もなく、永遠に贖われることになるだろう。聖キリアンがこのような考えを抱いて大いなる都を発ち、やがてナンロッサの丘と塔にたどりつき、勤行をはじめたことは、断じて間違いない。
 夜明けには、塔の最上階で顔を東の湿地に向け、エルフィンメアを棲みかとする神々を呪う聖キリアンの姿があった。日没には、やはり塔の上で、丘の上の壮麗な、あるいは静謐な空に向かい、神の怒りの雷をもって森の美の支配者たちを嚇す聖者が見られた。はじめのころ、かれのうちには、当世の人間ではたちうちできないほどの雄弁の力が湧きおこった。唇から激烈な呪詛の言葉が飛び出し、声の届くあたりにいる栗鼠たちがそれに慣れ、怖がらなくなるまでに、すくなくとも一年はかかった。哀れな神々にとっては災厄の時だった、と思うだろうか。ひと月でも持ちこたえられた者がいたなら驚きだ、と。聖キリアンが一日に二回ずつ唱えつづけた祭文ほどおそるべきものは、教会のうちにもまたとなかった。僧侶たちのあいだで使われる抑揚豊かで威勢のよいバビロン方言も、この場合には有利に働いた。また血をも凍らせる呪詛の言葉なら、聖者は教会の祭文以外にも、よりすぐりのものを数多く知っていた。呪いはすさまじい効果をあげたに違いないと、そう思いたくもなるだろう。しかし実のところ、神々にはなすべきことがたくさんあるうえ、かれらの耳は、おそらく、聞くのにはまったく適していない。神々が聖者の存在に気づくまでには、四十年を要した。
 慈雨と日光と霧、星降る夜と荒れ狂う嵐の夜の四十年。聖なる地をうろつき回り、ウィンベリーとワートルベリー、クランベリーとブルーベリーとマッシュルームを探し、寝床に敷く羊歯や薪にする小枝を集め、丸太をくり抜いた小舟で沼地に漕ぎだし、浅瀬で鰻を追う四十年。沈黙(日毎の呪詛を除いては)と孤独(森の獣たちを除いては)の四十年は、聖キリアンに変化をもたらした。かれはもはや蒼白い心気病みではなく、壮健な丈夫だった。教会からは無限の地平線で隔てられていた。聖職者らしいいかめしさは薄れ、日々の呪いも機械的な繰り返しと化した。もし聖者の言葉を実際に耳にしたなら、呂律もあやしく、つかえてばかりなのがわかっただろう。もはや信仰によって鼓舞されてはいない、盲目的な習慣でしかない。それどころか、いっさいの思考(あるいはふつうそう呼ばれるもの)が完全に沈黙し、われわれ人間が〈大いなる母〉と分かち合っている心性にとって代わられた。森はだんだんと聖者に影響を及ぼし、空の驚異、湿地の神秘がだんだんと聖者に沁みとおっていった。木々のささやきは聖者にやすらぎ以上のものを感じさせた。八月の黄金の宵がブナの木の梢に迫るとき、聖者は丘の辺に太古の者の息遣いを聞いた。冬の霧と雪のほの昏い白に淡い薔薇色の暁が刷かれるとき、不可思議な神が物思いに耽りつつ、輪郭をなくした世界を押し包むのを感じた。かれは主のための戦いを忘れ、「なべて人の思いに優る」もの[#神の平安を指す。『ピリピ書』四章七節]へと入っていった。信仰から来る辛辣さがやわらげられ、優しさと賛嘆の思いに変わった。聖者が日中を過ごす塔の部屋に、傷を負った狼が足をひきずりながら入ってくれば、かれは手当てをして傷を癒してやった。静かな夕暮れ時には、兎たちがひょっこりと塔に入ってきて、聖者の膝の上や手の下に収まり、炉の傍らに座る聖者に寄り添って寛いだ。兎たちは赤々と燃える炎を恐れ気もなく見つめ、聖者の無言の歓待のうちに、どんなものかは神のみぞ知る、兎らしい思索を巡らせ、そのさまはお伽話に聴きいる子供たちのようだった。当初あれほど聖者に驚かされた栗鼠たちも、その頃には、いつでも聖者の肩に乗っているようになった。仔鹿のとりわけ臆病なものでさえ、聖者と肩を並べて森を歩み、そのあいだ聖者の腕は優しく仔鹿の首に回されていた。堂々たる牡鹿は、ブナの木の幾筋にも分かれ苔むした根を踏みわけ、思慮深げに聖者に近づくと、鼻面を擦りつけて、体を撫でてくれるように、あるいは見事な角を戴いた頭を軽く叩いたり掻いたりしてくれるようにと促した。猪でさえ、おとなしく聖者の手から野生の林檎を食べ、母親は仔を連れてきて、聖者が仔を撫でようと抱き上げても気にせず騒ぎもしなかった。聖者は汚れなく、欠けるところなく、自然だった。森と湖の生命の欠くべからざる一部分となっていた。
 そしてついに、聖者から信仰の残滓が完全に消え、森への賛嘆と崇敬と愛情しか覚えなくなったとき、神々は聖者に気づいた。夜明けに湿地を越えて西へと馬を駆る〈黄金の炎〉ボリオンは、ナンロッサの塔でくだくだしい呪いを唱える聖者の声を耳にし、馬を止めていぶかしげにかれを見た。「磔刑像とロザリオからすると、聖者だな。だがしかし――」ボリオンはつぶやいた。そしてついに、キリアンが球果を集めに峰に登ったおり、樅の木の神である〈炎の心〉フェニットがかれを見かけた――聖者は牝猪と並んで歩き、その仔らに親しげにくうくう、くつくつと鳴くような声で話しかけていた。そしてついに賢明なる〈古き者〉ダロンが聖者を見いだした――キリアンは夏の昼下がり、森の最深奥にあるダロンの神聖なオークの木立の陰で眠っていた。かれは以前にも、そこで千回もまどろみ、あるいは瞑想していたはずだが、オークの神が聖者を見たのはそれが初めてだった。そして〈露の女王〉タイマズは、湿地のはずれに生えた羊歯の茂みにいる聖者に気づいた。さらに沼地の奥深く入りこんだところでは〈榛の木の女王〉グウェルンラスが、彼女の島々のあいだへ丸木舟で漕ぎだして釣りをしたり、浅瀬で鰻を追いかけている聖者の姿を認めるようになった。――そして神々にとっては、人間に気づくというのは、たぶん、その人間を愛することと同じなのだろう。これらの神々から、さらに力ある神々の合議の座にまで風聞が届き、森の中に同輩の不死の一族に属さぬ者がいるという事実が知られた。その者は、口を開くことは少ないが、いったん開けば――夜明けと日没に――人間のあらゆる言葉を知る神にさえ理解できない言語で話すのだという。十字架とロザリオからすると聖者だが、それにしてはなんとも無邪気で、しっくりと森に溶けこんでいる。
 その後、このよそ者に気をつけ、いかなる霊感に動かされているのか探るべしと触れが回された。そうして、おりおり人ならぬ訪問者たちは聖者のもとに寄りつどい、かれらに向けられた呪いに耳を傾けるようになった。聖者は支離滅裂な呪詛を繰りだし、姿を隠して塔の周りに浮かんだ神々は、その意味をいぶかしんだ。――かれらはむろん、土着の小さき神々にすぎない。〈星々の支配者〉たちはよそにいた。「みずからの救いのために祈っているわけではないな」神々は話し合った。「もしそうだったなら、とっくに森が穢されていただろう」聖者は、かれなりの流儀で、世界のためになることを望んでいるのだろうと、神々は判断した。それならこちらの味方だ。「聖者にしては、驚くべき殊勝さだ」かれらは言った。
 いっぽう、聖キリアンのほうでは、心の中に明るい光を感じていた。聖者を包む空気は踊り、歓びと躍動する生命を秘めた金剛石のようだった。なぜともなく、自分は主と人類のために偉業を成し遂げたのだという気がした。言葉は無縁のものになっていった。森でほかの人間に会ったとしても、挨拶や呼びかけに応える言葉さえ出てこないだろう。仔鹿や仔豚の相手をするときと同じく、くうくうと喉声を出したり、唸ったり、こっこっと鳴いたりするかもしれない。そうやって聖者は、生きとし生けるもの、目に映るあらゆるものに抱く善意と喜びと愛情のたけを表すのだった……。
「かれはわれらの仕事を助けてくれてもいる」神々は言った。「大いなる言葉を理解しているのだ。空や風や水と意を通じている。それゆえ、かれはある意味、われらと、かれの属する人間をつなぐ者なのだ」
 そうして五十年、いや六十年を経て、聖キリアンはあたりを歩き回るあいだ、つねに聖なる存在を感じるようになった。しかとは言えないが、神の御使いが年経りた木々のあいだをゆくように思った。丸木舟で水上に漕ぎだせば、天の伝令が己に付き添い、王国の神秘をささやいている気がした。かれは新たな熱意を抱いて勤行に向かった。言葉のうえでは教会の呪詛のなれの果てを唱えながらも、そこには美への信仰と世界の救済への渇仰があふれていた――かれのなかに己を顧みぬ神を育てた森の魂が、ひとびとの集うところに降臨し、人間の思考のうちに顕現し、力を得て、主となるようにと……。
 そうしてさらに七年が過ぎ、聖者はたいそうな老齢に達した。百歳になろうとするところで、体はとみに衰えた。夜明けに東から馬を駆るボリオンが塔の傍らを過ぎるとき、こころよい呪いの声が聞こえないこともたびたびあった。榛の木の女王グウェルンラスは、湿地に聖者の訪れがないのを惜しんだ。フェニットは樅の木の森に聖者を求め、しかし滅多にその姿を見いだすことはなかった。そして厳しい冬がやってきた。老いた聖キリアンには、夜に寝室に這い上がり、闇のなか震えながら咳をするのもつらく、ましてや、さらに上の階に登って呪いを発する余裕などあろうはずもなかった。しかし聖者はすでに煩悩を超え、地上のうたかたのことどもには、かかずらわなかった。
 聖者は炉端で眠り、昼も夜もひとしく、座ったままうつらうつらとして過ごした。つかのま目を覚まし、また眠りに落ち、つねに夢の中にいた。ふさふさとした毛皮の獣たちが入ってきては、聖者に覆いかぶさり、あるいは体を押しつけ、顔や手を舐め、せいいっぱい聖者を寒さと風から守ろうとした。炉に赤々と燃える火にも、獣たちはひるまなかった。肉食の獣の性でさえも、聖者の前では眠りこんだ。もしその場にいたなら、狼が聖者の寝椅子となり、ダマジカが風よけの衝立の役を務めるのが、同時に見られただろう。
 しかし、絶えず炎が燃えつづけたのはどういうわけだろう。目に見えぬ手が昼となく夜となく薪をくべていたのだろうか? 菜園の豆や野菜を干したものや、巣箱から採った蜂蜜からなる、ささやかな蓄えが尽きることもなかったのは、いかなるわけか。塔の居室の敷石が、いつも乾いた羊歯や松葉で厚く覆われ、聖者が欲するときには、いつも手の届くところに食べ物と飲み物があったのはなぜか? 聖者は知らなかったし、不思議に思いもしなかった。

 夜だった。外では、丘のふもとでも頂でも、木々が風に揺さぶられて怒号する波濤となり、大枝や、ときには巨木の幹までもが地に叩きつけられた。降りしきる雪が、荒れ狂う嵐に渦を巻いた。聖キリアンはうとうとしながら夢を見ていた。かれは病気だった……あるいは、ずっと病気で、良くなるところだった……あらがわず、なにも考えず、ゆったりと横たわって苦痛のない休息を楽しむ、そんな回復に向かう途上にあった。体は空気のように軽く、心はからっぽで満ち足りている。「母さん。ベッドがとても柔らかい」そう呟くと「そうね、おまえ」母が答え、涼しいやすらぎの手をかれの額に置く。「ああ、そこにいたのか、いとしいメアリー。てっきり――夢だったのか――」かれの手は若い妻の両手に包まれている。ちらちらと明滅する薄明かりのなか、ミュリエルとイレインとローズマリーの姿も見える。それに兄たち、長身のフィリバートとヴァンフレッド、そしてイーガンもいる。みなの顔は、気づかいと優しさと愛情にあふれていた。聖者はひとりひとりにほほえみかけ、かれらに囲まれているのが嬉しくてならなかった。「てっきり――夢だったのか――」かれは言いかけた。「もう何十年も経ったみたいだ、あれから――」「しーっ、しーっ」みながささやく。「すぐに良くなるからね、おまえ」
 聖者はおおきなやすらぎと安心につつまれて横たわり、炎が踊るにつれて明滅を繰り返し、みなの美しい顔を照らすのを眺める……見守るうちにも顔が変化して、さらに美しく、さらに荘厳に、それでいてさらに優しくなってゆく……ふいにかれは身を起こす。その顔は勝利に輝いている。「ああ、違う!」かれはささやく。「夢だったんだ……遠い昔の夢だ。わたしは老人だ……死にゆくところだ。あなたがたは……ああ、美しく恵み深き方々よ、あなたたちは主の御使いだ!」

 ふいに暖炉の炎が消え、それとともに温もりも輝きも失われ、灰だけが残った。聖者の懐に休んでいた兎が跳び降り、ちょこまかと走り出ようとして、夜の嵐を前に立ちすくんだ。年老いた牝狼は、毛むくじゃらの横腹に聖者の頭を載せた姿勢から立ち上がり、倒れ伏した聖者の亡骸を嗅いで、悲しげな遠吠えをあげてから小走りに出て行った。体で風を遮っていた牡鹿は、とっくに安全な戸外へと逃げ去った後だった。
 〈炎の心〉フェニット、ダロン・ヘン[#「ヘン」はウェールズ語で「古い、年老いた」の意]、〈黄金の炎〉ボリオン、〈露の女王〉と〈榛の木の女王〉、そしてかれらの同胞たちは、虹の橋を踏んで沈黙の塔を後にすると、闇と嵐の彼方にある、神々のきらめく世界を歩んでいった。「あわれ、聖者の幼子のごとき魂よ」神々は言った。「かれはすばらしく無邪気で柔和だった……」





底本:The Secret Mountain and other tales Faber & Gwyer, London 1926
翻訳:館野浩美
2016年09月24日公開
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