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グルーム・アハナの胸は唯一つのもの、すなわち勝利の歓喜に占められていた。弟のシェイマスを殺しおおせたのだ。その美しさゆえにずっと弟を憎んでいた。それに加えて近頃では、自分とカトリーン・マッカーサーの間に立ちはだかり、彼女の恋人となったためにも。これで自分を除いてアハナ兄弟は皆くたばった。われこそ「アハナ」だ。首尾よく父祖の地ギャロウェイに戻ったあかつきには、最初の樺の木にはカササギを、ナナカマドにはけたたましいカケスを、樅の木にはしわがれ声の大鴉を見出すことだろう。ああ、このおれは、やつらに災いをもたらすだろう。向こうはこちらのことなど何も知らないだろうがな。おれは唯一人の、アハナの中のアハナになるのだ。おれの行く手を邪魔する者は、心するがいい。カトリーンはどうするか。連れて行くかもしれないし、行かないかもしれない。そう考え、グルームはほほえみを浮かべた。

緑の枝に身を隠してゆっくりと岸に向かって泳いでゆく間も、また枝を捨てて羊歯の間に這い上がるときも、それらの思いがさまよう鬼火のように脳髄を駆け巡っていた。ちょうどその頃、三人目の男が反対側の岸から水に身を沈めた。

筋書きどおりカトリーンのふいを襲うつもりでいたグルームは、ひときわ濃い影の下にさしかかったとき、肩に手を触れられてぎくりとした。「シェイマス、シェイマス」カトリーンの声がささやいた。

次の瞬間、彼女はグルームの腕の中にいた。グルームはあばらに伝わってくる鼓動を感じた。「どうしたの、シェイマス。あの恐ろしい叫び声は何だったの」カトリーンがささやいた。

答える代わりに、グルームは唇で相手の唇をふさぎ、繰り返し口づけた。

娘はたじろいた。何かがおかしいと直感が告げていた。

「どうしたの、シェイマス。どうして何も言ってくれないの」

相手はいっそうきつく彼女を抱きしめた。

「わが胸の鼓動よ、おれだ、おまえを愛している、誰よりも愛しているこのおれだ。グルーム・アハナだ」

悲鳴とともに、娘は相手の顔を思い切り打った。相手がよろめいた隙に身をもぎ離す。

「この卑怯者!」

「カトリーン、おれは・・・・・・」

「近寄らないで。来たら殺すわ」

「おれを殺すだと。なんと愛らしい愚か者だ。おまえがおれを殺すというのか」

「ええそうよ、グルーム・アハナ。私が声を上げさえすれば、シェイマスが来るわ。あの人が、あなたが私にひどいことをしたと知ったら、犬ころみたいに殺されるわよ」

「そうか、それではシェイマスも、他の誰も、おまえを助けに来はしないとしたら、どうする」

「そのときは、女があなたに立ち向かうわ。私に手を出したら、髪で首を絞めるか、それともその邪悪な喉に噛み付いてやる」

「おまえがそんな山猫だとは知らなかった。だが、きっと手なずけてやろう。は、とんだ山猫だな」そう言いながら含み笑いを漏らす。

「そのとおりよ。真っ黒な心臓のグルーム・アハナ。私は山猫、おめおめと狐に捕まったりはしないわ。試してみるつもりなら、聖女ブリジット様にかけて、痛い目を見るわよ。さあ、あっちへ行って。わが恋人の兄よ」

「おまえの恋人だと、はっは」

「なぜ笑うの」

「それは、笑わずにいられるか。おまえのような優しい汚れのない娘が、死人を思い人にしているとあっては」

「死人――ですって?」

答えはなかった。さきほどまでとは別の恐れがこみあげ、娘は身を震わせた。ゆっくりと歩み寄り、息が相手の顔にかかるほどにまで近づく。とうとう男が口を開いた。

「そうだ、死人だ」

「嘘よ」

「いったい、どこにいたんだ、あの別れの挨拶が聞こえなかったとは。十分聞こえただろうと思ったがな」

「嘘よ――嘘」

「嘘じゃないさ。シェイマスはとっくに冷たくなっている。今頃は、沈んで水草に横たわっているさ。そうだ、そろそろな。あの湖の底で」

「何ですって――この、この悪魔。血を分けた弟を殺したというの」

「殺してなどいない。勝手に死んだのさ。こむらがえりでもおこしたんじゃないのか。それとも、ひょっとして水妖 (ケルピー) に捕まったか。おれは見ていた。あいつは緑の枝に隠れていた。死ぬ前にもう寿命は尽きていた。あの白い顔に書いてあったよ。それから沈んでいった。やつは死んだ。シェイマスは死んだんだ。なあおまえ、おれはずっとおまえを愛していた。おまえに誓う。おまえはおれのものだ。そうさ、カトリーン、おまえはもうおれのものだ。愛している。今日からは、おれがおまえの南風だ、愛しの恋人 (ムルニェン・モホリー) よ。ほら、どんなにおれが――」

「来ないで、来ないで――人殺し」

「いい加減に悪あがきは止めろ、カトリーン・マッカーサー。聖書にかけて、うんざりだ。おまえを愛している、おまえはおれのものだ。鳩がつがいの鳩にするように、おとなしく従わないのなら、鷹が鳩にするように、おまえを襲ってやるぞ」

グルームはカトリーンに飛びかかった。娘は相手を何とか押し返そうとむなしく抗ったが、鼬が兎を捕まえるように、男の腕は彼女を捕らえて離さなかった。

グルームは娘の顔をのけぞらせて喉首に口づけ、じきに苦しげにしゃくりあげるような息を耳元で漏らすのにも容赦はしなかった。娘はこれを限りとばかりに、死せる恋人の名を叫んだ。「シェイマス、シェイマス、シェイマス!」彼女を取り押さえている男はあざ笑った。

「叫べばいいさ。羊歯の茂みから鰊が出てくることでもあれば、シェイマスもおまえの叫びに応えるだろうよ。ああ、もうおまえはおれのものだ、カトリーン。あいつは死んで冷たくなった――生きている男を恋人にしたほうがいいだろう、それに――」

ふいにカトリーンは平衡を失ってよろめいた。身体が自由になっていた。何が起きたのだろう。グルームはまだそこにいたが、凍りついたように動かなかった。そろそろと闇の向こうから手が伸びて、グルームの肩を掴んだ。背後に朦朧とした黒い影があらわれた。

束の間、まったき沈黙が落ちた。ついで、影がしゃがれた声を上げた。

「もう誰だかわかるだろう、グルーム・アハナ」

それは湖の底に沈んだはずのシェイマスの声だった。殺人者は痙攣のように震えた。やっとのことで、のろのろと頭をめぐらす。そこに見たのは、ぼんやりと浮かびあがる白いもの、死者の顔だった。おぼろな蒼白の輪郭の中に、炎のような二つの瞳が、自ら手にかけた弟の霊の眼が燃えあがっていた。

グルームは盲目の人間のように覚束なげによろめき、死者の手をふりほどくと、酔ったようにふらふらとたたらを踏んだ。

シェイマスの腕がゆっくりと上がり、木々の向こう、湖の方を指した。そのままつと間を縮める。

獣のような唸り声をあげてグルーム・アハナは飛びすさり、躓き、身を立て直すと、闇の奥へと身を躍らせた。

しばしの間、シェイマスとカトリーンはじっと黙って互いに手を触れもせず、遁走の騒ぎが遠ざかってゆくのに耳を傾けた。殺人者が、追いすがる死者の影を相手に競争を繰り広げているのだった。

  

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