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マヌスは素早く人目をはばかるように服を脱いだ。長靴の革ひもは濡れて固く締まっており、マヌスはまくれあがった唇から唸りを漏らし、それを引き裂いた。マヌスの裸身が月光に白く輝いた。しかし岩の陰にかがみこんでいるため、まだ海からは隔てられている。「グルーム・アハナめ、どういうつもりだ」徐々に近づいてくる旋律が<死者の踊り>に変わったのに気づき、いまいましげに呟く。一瞬、マヌスは人間に立ち返った。もう少しのところで、屍であろうと亡霊であろうと、あるいは生身の人間であろうと、宿敵に面と立ち向かい、追いかけてくる相手に飛びかかって、両手と歯でもって引き裂いてやろうと決心しかけた。しかしそのとき憎むべき <海豹の歌> が、ふたたびあざ笑うかのように闇の向こうから漂ってきた。

ぶるっと身を震わせ、マヌスは暗い水中に滑りこんだ。素早く力強い抜き手を切って、水面にあふれる月光の中へと出てゆき、岩礁の風下の側を月の光に照らされて懸命に泳いだ。

海豹たちは二頭の牡の闘いに注意を向けていたため、泳いでくる人間には気づかなかった。あるいは気づいていたとしても、仲間だと思っていたのだろう。唸りと吼え声、人間の悲鳴にも似た声が群れからあがった。マヌスが群れの一頭に手の届くほどの距離に近づいたとき、闘っていた牡の一方が喉を喰い破られて沈んでいった。勝者は岩礁によじのぼり、身を反り返らせて見事な上体を繰り返し揺らした。月光に晒された牙は珊瑚の血赤に染まっていた。潰れた両目から血が筋を引いていた。

マヌスが群れの中に入っていくと、死んだ牡が沈んでいったあたりを泳ぎまわっていた海豹たちは、あわてふためいて右往左往した。

このひょろりとした白い海豹の笑い声に恐れをなしたのだった。

岩礁に膝があたったところで、マヌスは岩に両手をかけて体を引っ張り上げ、水からあがった。あちらの岩からこちらの岩へと、不思議な踊るような身のこなしで飛び移るマヌスの身体が、水泡のように白く月光に輝いた。

海草に覆われた岩場を舞うように飛び跳ねながら、マヌスは古い魔法の歌を切れ切れにうたった。それはユイスト島のマッコドラム一族の忘れられた呪歌だった。岩の上の海豹たちは、魅入られたように身を縮めて固まった。海中をゆっくりと泳いでいたものたちは、茶色の目で瞬きもせずにマヌスを見つめ、小さな耳をそばだてた。

このおれはマヌス・マッコドラム、 おまえたちに告げる、わがゆかりのアンドラよ、 そしておまえ、わが祖父ニール、それにおまえ、おまえ、 おまえにも そうだ、おれの名はマヌス、マヌスの子マヌス ほかの何者でもない おまえたちの同胞だ、海の海豹たちよ 赤魚の血をよこせ、 それに飛び跳ねる (スカタン) の一口も 腹の上には緑の波、 目の中には海の泡 おれは仲間だ、海の獣の男たちよ、 おまえたちより強い牡だ、唸り声も恐ろしい牡たちよ かかってこい、おまえ、柔毛の腹の海豹よ、 いまは白いおれの身が、じきに赤く染まるだろう、 流れる血汐に染まるだろう、おれに歯向かうやつがいたならば アオゥ、アオゥ、アオゥ、アロー、アロー、ホーロー かつては人間、今は海豹、 おれの牙の間から黄色い泡が唇にあふれる 道をあけろ、道をあけろ、海豹たち 道をあけろ、海の魔物なるこのおれに 彼方に見えるのは海の乙女、 そしておれの名は、そう、マヌス・マッコドラム、 かつては人だった海豹の牡だ、アラー、アラー

マヌスは大きな黒い海豹の近くまで来ていた。あいかわらず血まみれの頭を単調に揺らし、盲いた目をさまよわせている。他の海の民は魔法にかけられたかのように固まっていた。月光の下を舞うマヌスに踏みつけられたときでさえ、ぴくりともしない。マヌスは大海豹に手の届く距離まで近づいて立ち止まった。「おまえはキェウン・キニーか」大声でたずねる。「おまえはこの海の民の一族の頭か」

巨体の揺れが止まった。まくれあがった唇が牙を剥き出しにする。

「答えろ、呪いをかけられているのでなければな。ひょっとして、おまえはアンドラ、わが父の兄だろう。答えろ! 待て――あの岸のほうから来る音楽が聞こえるか? あれはダーン・ナン・ローンだ。我が魂の破滅の歌、ダーン・ナン・ローンだ。そうとも。グルーム・アハナが墓からよみがえってきたのさ。そこをどけ、けだもの。おれを通せ!」

そう言い放ったが、相手が退かぬのを見て、固めた拳で獣の顔をまともに殴りつけた。腹の底から絞りだすような低い唸りをあげ、海豹は牙を剥いてマヌスに襲いかかった。

マヌスはふらふらとよろめいた。もはや周りで狂ったように海豹たちが唸り、吼え、むせぶような鳴き声をあげるのしか耳に入らない。マヌスが倒れると、海豹たちが殺到した。マヌスの叫びは、狂った鳥の群れのように夜闇を旋回した。死に物狂いで身を自由にしようともがく。群れの頭がマヌスを岩に釘付けにした。他の海豹たちが白い肌を引き裂き、ほとばしる血に紅く染まった岩を月の白い光が照らし出した。

しばらくの間、マヌスはなおも激しく抗い、爪や歯を突きたてた。いちど、もはや見分けもつかぬ赤い塊となったマヌスが膝をついて身をおこした。岩礁の岸に近いほうから、高くはっきりと運命の旋律が響いてくるのを聞き、ひとこえ憤怒の叫びをあげる。

次の瞬間、身体を引き倒され、岩礁から海に投げ落とされた。ずたずたに引き裂かれた身体が沈んで見えなくなってゆく周りで、海豹たちは沸き立つように伸び上がり、身をくねらせた。その目は恐怖と怒りに燃え、牙は人間の血に赤く染まっていた。

そしてグルーム・アハナは岩礁の上でくるりと向きを変えると、足取りも軽く陸のほうへと戻っていった。道々、ひそやかにフェタンを吹き鳴らしながら。

      

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