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「それで、いったい何の話だ? アン」

「私、何も言っていないわ」

「わかってるさ、おまえ (モ・カリン) 。でも、何か言おうとしていただろう」

「そうね、そのとおりよ。マーカス、グルーム、それにシェイマスも、あまり嬉しい話じゃないかもしれないけど、言わなくてはいけないことがあるの。あの、私と、マヌスのことで」

しばらく誰も返事をしなかった。三人は座ったまま、野原で見慣れぬ人間に出くわした家畜のようにアンを見つめた。グルームの眉間のしわが深くなったが、アンが彼を見返すと、目をそらして足元の影に視線を落とした。ようやくマーカスが低い声で言った。

「おまえが言うのは、マヌス・マッコドラムのことだな?」

「そうよ」

ふたたび沈黙がおちた。グルームは下を向いたままで、シェイマスは泥炭の炎を見つめていた。マーカスが落ちつかなげに身じろぎした。

「それで、マヌス・マッコドラムは何が望みだ?」

「マーカス、わかっているんでしょう。どうしてそんな意地の悪い言い方をするの。マヌスの望みはひとつきりしかないわ。一緒に来てくれと言われて、私は承知したの。マヌスが司祭様を連れてここにくるか、私たちがハリス海峡にあるユイストのバーナレイ島の教会に行くのを許してくれないなら、もうこの家の屋根の下には一晩だっていない。夜明けとともに、今港にいるルア号に乗ってエランモアを出て行くわ。話はこれで全部よ、マーカス、グルーム、シェイマス」

そう言いきると、またもや無言で迎えられた。沈黙を破ったのは思いがけないものだった。グルームがよどみない動作でフェタンを取り出し、唇にあてがった。冴えざえとした笛の音が炎に照らされた部屋を満たした。さながら冬の訪れを告げる白鳥の群れが水面を埋め尽くすかのように。

音色はいつの間にか、荒々しいこの世のものならぬ旋律に変わった。瞑いわだつみの上の冷たい月の光のようなそれは、<ダーン・ナン・ローン>の調べだった。

アンの顔にさっと血の気がさし、体が震えたかと思うと、ふいに彼女は立ち上がった。固く拳を握った右手を卓上について身を乗り出すと、泥炭の明かりが、炎のように燃える瞳を照らしだした。

「どうしてその曲を吹くの、グルーム・アハナ」

相手は最後の一節を歌いおさめると、麦笛の管に息を吹き込んだ。アンをちらりと見上げ、言葉を返す。

「この曲の何が悪いんだ、色白きアナ」

「悪いことなのはわかっているはずよ。それはダーン・ナン・ローンじゃないの」

「そうさ、だったら何だというんだ、色白きアナ」

「だったら何かですって? 私がその <海豹の歌> の意味を知らないとでも思っているの」

グルームはフェタンを置いて立ち上がった。

「いいか、アン」声を荒げて言いかけたところへ、マーカスが割って入った。

「もういい、グルーム。可愛いアン、おまえは本気なんだな?」

「そのとおりよ」

「グルームがなぜあの曲を吹いたか、わかっているのか」

「ひどいいやがらせよ」

「島々の言い伝えは知っているんだろうな。あの、禁忌 (ゲサン) に縛られた、魔法をかけられた者たち――それから、そう、海豹のことだが」

「ええマーカス、知っているわ。――Tha iad a' cantuinn gur h-e daoine fo gheasan a th' anns no roin.」

「海豹は」マーカスは重々しく繰り返した。「海豹は魔法をかけられた人間だと言われている――その意味をよく考えてみたのか、従妹よ」

「あなたの言いたいことはわかっているわ」

「それなら、北ユイストのマッコドラム一族が海豹の子孫と言われていることも知っているはずだな」

「聞いたことはある」

「それなのにおまえは、獣の血を引く男と夫婦になるつもりなのか。本人だって禁忌 (ゲッシュ) のことは承知していて、いつ仲間の処へ帰って行くかもしれないというのに」

「ああもう、マーカス、私をばかにしているのね。あなただって、そんな戯言は信じていないくせに。女の胎から生まれた男が、なぜ海豹だなんてことがあるの。たとえ、あの人の祖先が海の民の血を引いていたとしても。でも、それだって私、信じていないわ。どのみち、そんな遠い先祖のことなんてどうでもいい」

マーカスは眉根を寄せて黙り込んだ。ようやく口を開いたものの、口調は苦々しかった。

「なんだろうと信じたいことを信じればいいだろう、アナ・ニク・ギレスピク。だが、誰でも知っていることが二つある。東風が晴天を、西風が雨をもたらすのと同じくらい確かなことが。一つはこうだ。昔、海豹の男が北ユイストの女と結ばれた。その男本人だか息子だかは、ニール・マッコドラムといった。それからというもの、海に焦がれる海豹の血が代々の子孫に受け継がれた。そしてもう一つはこうだ。今の世の人間が知る限りでも二度、マッコドラム一族の者が海豹に姿を変えたことがある。そのために彼らは死にまみえることになった。一人はル・トロメチのニール・マッコドラム、もう一人は海峡のバーナレイのアンドラ・マッコドラムだ。他にも噂はあるが、誰でも知っているのはこの二人だ。そしてよもや忘れはしないだろうが、褐色のニールはマヌス・マッコドラムの祖父で、アンドラは伯父だ」

「そんなこと、私は気にしないわ。ただの海の泡みたいなものよ」

「風も潮もなければ、泡が生まれることもなかろう。おまえをユイスト島に運んで行くのは不吉な潮だ。東をはるか離れて吹きすさぶのは絶望の風だ。その風が奴の末期の叫びをおまえの耳に届けるだろう」

アンは身を震わせた。しかし、アンの身にひそむ勇敢な魂は怯まなかった。

「さもあらばあれ。誰にでもそれぞれの運命があるわ。それでも、海豹であろうとなかろうと、私はマヌスに添うてみせる。あの人は、あなたたちに劣るところなど何もない、真実立派な人間よ。私は彼を愛している。神の思し召しによって、あの人が私の夫となるでしょう。神よ讃えられてあれ!」

グルームがふたたびフェタンを取り上げ、熱気をはらんだ室内に、あおじろく凍てつくような音の連なりを送り出した。漂うきれぎれの音符がふいにまとまって、ダーン・ナン・ローンの冒頭の妖しい旋律を成した。

小さな叫びとともに、アンはしゃにむに飛び出して笛をグルームの手からひったくると、炎の中に投げ捨てようとしたが、その前にマーカスの強靭な腕にがっちりと取り押さえられた。

「グルームのことは気にするな」マーカスはおだやかに言うと、フェタンを取り上げて弟の手に返した。「俺の言ったことを、こいつなりのやり方で表しただけだ」

アンは身をもぎはなすと、食卓の向こう側にまわった。そちら側の壁には、ロバート・アハナ老人のものだった短剣が掛けてあった。アンは短剣の鞘をはらった。右手に短剣を構えたまま、男たちに相対する。

「この短剣の十字にかけて、私はマヌス・マッコドラムの妻となる」

男たちは一言も発せず、魅入られたようにアンを見つめた。

「そしてこの短剣の十字にかけて、誰であれ私とマヌスの間に立ちはだかる者がいたなら、その日、その時、この短剣の切れ味を思い知らせてあげるわ」

そう言う間も、アンは他の二人にもまして恐れているグルームを、決意をこめて見据えた。

「そしてまたこの短剣の十字にかけて、マヌスにもしものことがあれば、私の乾涸びた胸がこの短剣の新たな鞘になるでしょう。その証として、古い鞘を私は火に投ずる」

言い終えると、燃え盛る泥炭の上に鞘を投げ捨てた。グルームがすばやくそれを拾い上げ、塵かなにかのように火の粉を払うと、隠しに収めた。

「そして同じ証にかけて」グルームは言った。「おまえの誓いは無に帰する」

立ち上がりながら、グルームは兄弟についてくるよう合図した。外に出たところでシェイマスには、家に戻ってアンを外に出さないよう、おとなしく従えばよし、従わぬなら力ずくでも留めておくようにと言いつけた。手短かに段取りを話し合った後、兄弟は二手に分かれた。シェイマスは家に戻り、マーカスとグルームは港に向かった。

      

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