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そしてグルームは、ゆったりと地面に背を預け、ときおり空を見上げては微笑みながら、アンとマヌスの身に起こったできごとを、アンの死にいたるまで物語った。さらには、マヌスが己の血に潜む海豹の呼び声を聞き、海の仲間の許へと行ったこと、フェタンの奏でる秘密の運命の歌、ダーン・ナン・ローンと呼ばれるその歌によって狂気に陥ったことを。そしてまた、今も沖の岩礁の潮溜まりは血に赤く染まり、海豹たちもあえてかき乱そうとはせず、上げ潮にさらわれ灰色の波に混じることもないということを。

グルームが語り終えると、沈黙が落ちた。アラスターは弟のほうを見なかった。グルームはあいかわらず仰向けになったまま空を見つめ、ひっそりと微笑んでいた。アラスターの顔は夜闇に浮かぶ泡のように白かった。とうとう、アラスターが口を開いた。

「マヌスの死がおまえの良心の扉を叩いているぞ、グルーム・アハナ」

「おれは海豹じゃない。海豹に訊いてみろ。やつらにはわかっている。マヌスはやつらの仲間だったんだ。人間じゃあない」

「嘘だ。マヌスは人間だ。おれたちと同じように。おれたちの友人で、アンの夫だった。マヌスの死がおまえの心の扉を叩いている、グルーム・アハナよ」

「われらが弟シェイマスは、まだエランモアにいるのかどうか知っているか」

アラスターは急に話を逸らされ、けげんな顔で弟をじっと見つめた。

「どうしてシェイマスが島にいていけないわけでもあるのか」

「何も聞いていないのか、シェイマスと、それに、そうだ、アートの娘カトリーンのことを――」

「スカイ島のスレイトに住むアート・マッカーサーの娘、カトリーンのことか」

「そうだ。シェイマスと、カトリーン・マッカーサーのことだ」

「二人がどうかしたのか」

「どうもしない。ああ、どうもしないさ。だが、シェイマスがかのうるわしのカトリーンの話をするのを聞いたことはないのか」

「シェイマスは彼女を深く愛している。とても深い、ほんものの愛だ」

「ふん」

そう吐き出すと、グルームはふたたび笑みを浮かべ、ヒースと羊歯の茂みに寝そべったまま、ぼんやりと空を眺めた。懐からすらりとフェタンを取り出すと、息を吹き込んだ。冷たく冴えた音の螺旋が、あえかな青い煙のように昇っていった。

そしてふいにグルームはダウサ・ナ・マラヴ、すなわち 〈死者の踊り〉 を奏で始めた。

アラスターは身を震わせたが、口に出しては何も言わず、じっと地面を見つめていた。激しく妖しい、身の凍るような旋律に、ヒースの枝の先にまで墓場の暗黒の音楽が充満するころ、ようやく弟に目を戻した。

「グルーム、シェイマスに対して何を企んでいるのか教えてくれないか」

「シェイマスは島を出たくてしかたがないんじゃないか」

「そうかもしれない。おれは今のエランモアがどうなっているのか、まったく知らない。カタコル港に砕ける白波を見たのは、もうずいぶん前のことだ」

「さっきの曲を聴かせてやったら、シェイマスのやつは慌てて出てゆくだろうな。だが行き先はカトリーン・マッカーサーの許ではあるまい」

「どういうことだ」

「それはだな、アート・マッカーサーの娘カトリーンが従うことになる男は、われらが弟シェイマスではないからだ。その男の名を教えてやろうか、アラスター。それはグルーム・アハナというのだ」

「なんと酷いことを考えているんだ。マヌスに、おれたちの友人で身内でもあったアンの夫にしたことを、シェイマスにもしようというのか。おまえの心には死が巣喰っている。麦を蝕む青黴のように、おまえの心は蝕まれている」

グルームはそっとフェタンを奏でた。邪悪で無慈悲な音楽が小さく渦を巻いた。それはクサリヘビの舌のように、すばやく身を咬み毒を滴らせる音楽だった。

アラスターは唇を噛んだ。罠にかかった鳥が雪の下で血を流すように、蒼白い顔にさっと血の気がのぼった。

「おまえはあの娘を愛してなどいない。エランモアで、おまえははっきりとアン・ギレスピーに焦がれていると言っただろう。あれはただ、マヌスがアンを愛しているのを嗅ぎつけたからだったのか? 今度も同じだろう。おまえは鷹みたいな眼で彼方のスレイトに棲む哀れな小鳥に狙いをつけたが、それはシェイマスが彼女をほんとうに、ほんとうに愛していて、彼女もシェイマスを愛していると、そう聞いたかなにかしたからだろう」

「そんな嘘っぱちは聞いちゃいない。アラスター・アハナよ」

「では、いったい何を聞いたんだ」

「ああ、東風が草の間で囁いていたのさ。草の間からすいと鳥が飛び立って、はるか高みの青い野原で歌ったのさ。それから細い細い雨になって落ちてきて、滴がおれの耳に転がりこんだのさ。そうやっておれは、おれの知っていることを知るのさ、アラスター・アハナよ」

「それでアンのことは――おまえはアンを愛していたのか」

「アンは死んだ」

「おまえの愛は鰊のように移り気だ。今日はここに影を見せたかと思えば、明日はあちらに影を見せる。おまえに味方する潮などないぞ。おまえのような者には安らう港もない」

「おれの欲しい女はただ一人、カトリーン・マッカーサーだ」

「おれが聞いたことが本当なら、おまえはもう、ある女性に恥と悲しみをもたらしたはずだ」

グルームがはじめて動揺の色を見せた。アラスターにちらりと目をくれ、神経質な白い手がひきつった。おびえた狐が神経を研ぎ澄ませ、逃走に備えてたわめた筋肉にさざなみのような震えを走らせるさまを思わせた。

「いったい何を聞いたというんだ」グルームは声をひそめて尋ねた。

「おまえが、おまえを愛していない娘に呪文をかけて家から引き離したと。娘はおまえに従って悲嘆を味わい、おまえのものになって恥を嘗めたと。そのために娘は行方をくらましたか、とうとう身を投げて溺れたかしたのだと」

「その娘が誰だか聞いたか」

「いや。この話をしてくれたのはサザーランドのカーンドゥのオーリィ・マコーリィだ。娘が誰だかは知らないと言っていたが、ほんとうは知っていたのだと思う。かわいそうに、目が泳いでいたし、震える手でひげをいじって、慌ててどもりながら、その朝、岬の沖に来た鰊の群れのことをまくしたてた」

グルームは微笑んだ。束の間の、あるかなきかの笑みだった。それから寝転がったまま身体をひねって、隠しから一通の手紙を取り出した。

「ああ、オーリィ・マコーリィは兄貴の昔からの友達だったよな。そうだった。ときどき漁船でエランモアに来たっけな。ところで、今の話を続ける前に、おれがシェイマスに宛てて書いた手紙を読んでやるよ。やつは、今おれが生きているのか死んでいるのかも知らないんだ」

そう言うと便箋を取り出し、折々ちらと笑みをのぞかせつつ、誰か他人の書いたもののようにゆっくりと確かめながら読み上げた。

さてシェイマス、弟よ、おれが死んだのかどうか、頭を悩ませていることだろう。答えは、あるいは然り、あるいは否だ。この手紙を送るのは、おまえの行動も考えも、すべてお見通しだと知らせるためだ。おまえはエランモアを見捨てて、アハナ一族が誰も住まぬままほうっておくつもりなのだな。そしてスカイ島のスレイトに行くのだろう。では、言わせてもらおうか。行くな。血が流れるのが見える。それにもうひとつ。おまえも、ほかのどんな男も、おれからカトリーンを奪うことはできない。おまえはわかっているし、イアンも、カトリーンもわかっている。これは、おれが生きていようが死んでいようが変わらない。忠告してやる。行くな。それがおまえのためだし、みなのためでもある。イアン・マッカーサーは、エランモアにおれたちを訪ねて来たことのある、捕鯨船の船長と一緒に北海にいて、あと三ヶ月は帰ってこない。やつにとっては、帰ってこないほうが身のためだろうよ。もし帰ってきたら、カトリーン・マッカーサーをわがものと宣言する男と、決着をつける必要があるだろう。おれは、男二人と話をつけねばならないのが、嬉しいわけじゃない。ひとりは実の弟とあってはなおさらだ。おれがいまどこにいるかは、どうでもいい。いまのところ、金はいらない。だが、おれの分はとっておけよ。必要になったとき、いつでも用意ができているようにな。必要となったら、おれは悠長に待ったりしないからな。ちゃんと準備しておけ。おれはいまいるところに満足している。おまえは尋ねるだろう。なぜ兄さんは遠くにいるのか (言っておくが、ここはセント・キルダより北ではないし、キンタイアのマルより南でもない)、いったい何のために、とな。答えはおれと死者のみぞ知る。ひょっとすると、おまえはアンを思い出すこともあるかもしれないな。アンはいま緑の塚の下にいるのを知っているか? マヌス・マッコドラムのことはどうだ? マヌスは海に泳ぎだしていって溺れたことになっている。みなが海豹の血のせいだとひそかにうわさしているので、牧師殿はたいそう憤慨しているそうだが。牧師殿に言わせれば、狂気のせいだと。ああ、おれはその場に居合わせた。おれのフェタンで狂気に追い込んでやったのさ。なあシェイマス、おれがどの旋律を奏でてやったか、おまえにわかるか?

雌伏して時を待つ兄より グルーム


よく憶えておけ。おれは 〈ダウサ・ナ・マラヴ〉 を吹かずに済むものなら、そのほうがいい。マヌスにとっては、 〈ダーン・ナン・ローン〉 を聴いたのが運の尽きだった。あれがやつの運命の歌だった。そしておまえの運命の歌は 〈ダウサ・ナ・マラヴ〉 だ。

      

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